藤圭子が亡くなった(享年62歳)。浪曲師の父と三味線奏者の母から、生活そのものでしっかりと日本芸能を受け継いだ。可憐な10代の少女が、ドスの効いた声で歌う演歌は、他の演歌歌手が歌うものとは全く異なることに衝撃を受けた。同年代のタレントとも全く違う存在だった。歌う時には、他人に媚びることなく、愛想の微塵もない所作にいたく惚れた記憶がある。
“圭子の”夢は夜ひらく
1969年「
新宿の女」でデビュー、「
女のブルース」、「
“圭子の”夢は夜ひらく」(最初からわざわざ“圭子の”とつけた曲名はそうそうないだろう)と三連発には恐れ入った。この二年の活動だけで、藤圭子は日本の歌謡界の歴史に残った。今聞いても凄すぎる。
1970年 の『NHK紅白歌合戦』に出た頃が、最も輝いて、一番幸せそうな顔をしている。並みはずれた(和服姿の)美貌と抜群の歌唱力で頂点に一気に上り詰めた。「その後」をどうするかなどは全く考えられなかった。藤圭子を取り巻くスタッフにとって、この歌手を「美空ひばり」のように長続きさせるのは無理な注文だったのだと思う。
藤圭子の生き方は、ある意味「美輪明宏」と対極にいる。その生き方で人の心を揺さぶるのは一緒だが、「折れる鋼」と「折れない鋼」のような対比である。彼女が吹き込んだ歌には「
京都から博多まで」「
命預けます」「
みだれ髪」「生きているだけの女」など、いい曲がたくさんある。これから『伝説の歌手』になっていくのだろう。合掌
- 関連記事
-
スポンサーサイト
テーマ:あれこれ - ジャンル:学問・文化・芸術