中国雲南省山岳地帯の少数民族が納豆を食べることは知っていたが、タイ、ミャンマー、ネパール、はてはインドにまで及ぶとは知らなかった。はたして日本の納豆とアジアの納豆は同じものなのかと言う疑問を抱えて、著者はミャンマーからネパール山中の少数民族を訪ね歩く。納豆をつくる現場を見たり、自分でも作ってみたりして、検証した旅のレポートで非常に興味深く読ませてもらった。
九州生まれの筆者にとって、「納豆」はあれば食べるが、必需品ではなかった。ただし、海外出張、特に中国に出張をするようになって、納豆は持っていくようにしている。見慣れぬ食べ物や少し危ないかなというものを口にしたときに、整腸剤(≒おまじない)として宿に帰ってから納豆を食べ、焼酎(スピリッツ)を飲んで(消毒して)寝る。小泉武先生の受け売りではあるが。
著者は併せて日本国内の名物納豆の産地に出向いている。大きなテーマは二つ、納豆の定義と納豆の起源を問い続けている。一応の結論(仮説)を出された。納豆は稲藁の納豆菌(枯草菌の一種)により煮た大豆を発酵させたものが日本での常識。だが実は、アジアの納豆は藁についた菌ではなく、シダ(いちじくやビワ)などの植物の葉っぱについた菌で発酵させるのが主流だった。
納豆に共通するのは山岳地帯や盆地であり、動物性蛋白質(肉や魚)簡単に手に入らない所で、植物性蛋白質の豊富な大豆を活用したものである。食べ方はかなり違うが、その多様さは「これはもしかして日本って“納豆後進国”なの?」と日本人の“納豆観”をいとも簡単に打ち壊す。
日本の農水省は、やはり納豆の国際規格化を推進しているという。著者が言うように、「手前みそ」ならぬ「手前納豆」自体は悪くないが、全体を広く見る態度や配慮が欠けている。ここでも他のアジア地域の“納豆民族”から謙虚に学んで、新しい納豆の可能性を開発するような姿勢が必要だと思う。
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テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術