この書の目次は以下のようになる。
Part 1:マッカーサー大使と田中最高裁長官(吉田敏浩)
―1959年3月31日から12月16日まで
Part 2:秘密文書の発見
砂川裁判干渉の秘密工作のあった米軍の世界的な戦略(新原昭治)
アメリカと田中長官の深い関係、そしてアメリカが生みだした「九条解釈」(末浪靖司)
Part 3:検証・法治国家崩壊(吉田敏浩)
砂川事件経過
1955年3月:ジェット爆撃機の離発着を念頭に置いての在日米軍飛行場の立川飛行場滑走路拡張が決定された。
56年~57年:「駐留軍用地特措法」に基づき、強制的な土地収用が進む中、農民や労働組合を中心とした反対運動が強まった。
1957年7月:官(後の防衛庁)による強制測量に抗議するデモ隊に対し、警察が出動しデモ隊と衝突。この間、デモ隊の数人が米軍基地内に数メートル立ち入り、「日米安全保障条約に基づく刑事特別法」違反で逮捕・起訴される。
1959年3月:東京地裁の第一審は、「駐留米軍基地の存在は日本国憲法9条に違反する」という(伊達)判決が下った。危機感を持った日米政府は、検察を操り高裁への控訴を飛び越して、最高裁への跳躍上告という動きに出る。
1959年12月:異例の早さの最高裁判決では、田中耕太郎裁判長により、「原判決を破棄する。本件を東京地方裁判所に差し戻す。」と『伊達判決』を無効とした。
要点は、「米軍駐留は違憲ではない」「安保条約のような高度な政治性をもつものは違憲であるかの法的判断を下すことができない」と司法は判断を回避することにより、司法の独立を放棄した。これが戦後日本の「‘鵺’のような国」となることが定着することになった。
いまさら、この時になされた政府の決定や最高裁判事の行動は、今から言っても覆るはずもなない。むしろわれわれがやるべきは、アメリカで開示された機密資料を精査し、日本の機密文書を開示させ、当時の状況を検証し、今後日本の未来にどう役立てるかを考えることが、必要であろう。「歴史を検証する」とはこういう場面を振り返り、われわれの現在と未来に生かすことだと思う。
どうすれば現状を回復できるか、50年・100年後の日本は、世界の中でどういう位置を目指すのかを問い続ける必要があると思う。御用学者が“施政者が犯した間違いや出来事の歪曲を糊塗すること”を許してはいけないと強く思った一冊である。多くの読者にこの書に書かれた詳細について知ってほしいものである。
蛇足ながら、この書に掲載された在日本大使館とアメリカの国務省のやり取りは、生きた英語として、その行間にあるアメリカ高官の日本政府や外務省に対して抱く考え方を知る非常に良い‘生きた教材’だと思う。政治家(国会議員)なら、彼らの本意のニュアンスを読み取れるぐらいの最低限の英語力は持っていてほしいと強く感じた。できれば、数点でも拙ブログで取り上げてみたいと思う。
(了)
テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済